良いお年を

12月31日
今月始めたばかりのブログだけど年越しですね。

もうそろそろ母親が年越しそば茹でそうなのでリビングに移動しようかなと考えながら書いてます。

青少年健全育成条例について、真面目に調べてみて色々考え方は変わった。

其の上で思うのは、
権力には「原則」として従うべきだけど、
権力の暴走には毅然と立ち向かう必要があることを改めて自覚した。
どちらも聖書にあること。(後者は特にダニエル書と黙示録ね)

今は、権力が暴走しているタイミングだから一人のキリスト者として立ち上がる必要がある。

その上で性倫理については私の見解を聖書に基づいて述べさせてもらう。

人は、本質的に男と女一対一に作られたものであり、

一夫一妻の原則
婚前交渉の否定
高い性倫理の必要性

これらは必要不可欠だ。

夫婦という絆の元で許された関係が性交渉であり、何人たりともそれを侵すことは許されない。

ただ、性知識。
これについて、独身の間に必ず学ぶ必要があるのは確かだ。

そして、女性を性欲の捌け口、人格的交わりの否定をすることに破綻が始まることを覚えなくてはならない。

なぜ「婚前交渉が否定されるのか」改めて考え直すいいきっかけになった。

その上で、一つ断言します、

キリスト者は世の価値観をどう避けるか、ということを学ぶ必要がある」
「自分たちの考えがスタンダードになるように伝道を続ける必要がある」
「様式を妄信するのではなく、何故そう神様が命じているのかを聖書に訊く必要がある」


「昔、とある牧師がエロ本読むのがすきで子供にも読ますべきです」
と言ったことがあるというのを説教中に聞いたことがある。

一番の疑問はその牧師が聖書に基づき、
人格をどれだけ大切に考えたかです。

高い倫理性は結局のところ聖書に基づいて考えるべきで、
「政治ごとき」に任せてられないものなのだと思います。

「政治」が守るのは「誰もが認める」「不正」の取り締まりです。