キリスト者として、世界の倫理観を眺めつつ

旧約聖書中最大の政治家はヨセフかダニエルだろう
ソロモンは晩節を汚していたりするので、栄華を極めたと主が言ったソロモンも、
この二人には政治家としては劣ると思う。

この二人には共通点がある。
異教の地にて臣下としては頂点まで上り詰めた二人だ。

ヨセフは使えていた主人の妻に不倫を迫られたが逃げる、倫理的バランスを備えていた。
(不順異性交遊について「逃げろ」はクリスチャン学生にはよく教えられてること)
ダニエルは王のみを拝めと言われても無視して、自分の信じるまことの神のみを信じたこと。

この二人に共通してるのは、
風俗等を「権威」でもって一変させるほどの地位にいたにも関わらず、
それをせずに「ただ主のしもべ」として自らの仕事を真っ当したことだ。


んで、新約の時代。
律法学者が重んじたのは「先祖からの言い伝え」
言い換えれば「ガチガチに作り上げられた倫理規制」だ

非常に歪んだ倫理規制は、
安息日に仕事をしてはならない」という規定を「歩いていい距離まで制限する」規制になった。

そこに忘れられたのは律法にある「心」だ
安息日に仕事をしてはならないのは、その日は神を思い起こす日だからだ。
決して神をないがしろにしてはならない。

風俗について、キリスト者が意識しておくべき御言葉がひとつ

外部の人たちをさばくことは、私のすべきことでしょうか。あなたがたがさばくべき者は、内部の人たちではありませんか。
コリント人への手紙 第一 5:9

コリント人への手紙は道徳的腐敗が教会にまで及んできていたのをパウロが危惧して書かれた手紙。

クリスチャン自身はお互いに教えあい、学びあい道徳的に「世間一般の価値観」と一線を画する必要があるし、その姿勢を見せることで、外部の人へと影響を与える(マタイ5:16)義務がある。

本質的にクリスチャンの在り方は

食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を顕わすためにしなさい。
コリント人への手紙 第一 10:31

これを守る一点につき、
そしてその原点は神を愛すること、隣人を愛することに尽きる。