性について〜『真面目』なクリスチャン学生が喜べないこと

多くのクリスチャン学生を見ていると、

自分の性、性欲について喜べないでいる学生がとても多い気がする。
いや、異性の学生とそのことではぶっちゃけあまりにも話しづらいので、
同性の学生としか話したことないけど、
本音では自分の性欲を喜べないでいる『真面目』な学生が凄く多い気がする。

性欲を「自分の快楽のためだけ」に使うことは「罪」だと思う。
俺が、ポルノが「不要」と評するのはそれが理由。

そのキリスト教的な意味で「罪」あるものを「完全排除」した世界って、
残念ながらこの世には出来ない
ものだと思う。


真面目であればあるほど
「自分が性欲に抗えない存在である自分の罪性を意識し、悩む」
いや、「悩まないことは問題」だと思うけど、
その一点にとらわれてしまう。


でも、忘れないで欲しいのは「性欲」もまた「神様が創造した御業」の一つであり、
「人はそれを『管理』する責務がある」
「食べるにも、飲むにも、何をするにも神の栄光をあらわすために」
は『性欲』と向き合う『姿勢』にも問われている。

男性であること、性について「汚れている」ことと否定せずに、
ありのまま「受け取り」、神様の前で「正しく用いる」ことを祈り求め、
また分かち合う機会が必要だと思う。