量子家族〜クォンタム・ファミリーズ感想

う、うーん。
ストーリーは面白かった。
けれども文章としては、論文的過ぎて「小説の文章」としてはあんまりいい文じゃないと思った。
っていうか、一人称視点がみんな理屈っぽすぎて感情にまかせた人が居ない分、
登場人物の個性が足りないかなぁという感想。


以下ネタバレを多く含みます。


一回読んだだけじゃ、作者の主張はまるで見えてこない。
というか、往人が事実上最後まで量子化された現実へ巻き込まれた被害者的ポジションで、
主体的に動いていたのは二人の子供だしなぁ。

元となった「ファントム・クォンタム」は読んでないけど
『物語外』として冒頭と巻末に入った二つの章はおそらく加筆修正の時に大幅に書き直したもの、あるいはそもそもなかったときに書き足したものと推測される。

この「量子家族」は皆が皆、愛に飢えている。
愛されることに飢え、愛することにも飢え
量子的並行世界を覗き見る手段を得てしまった存在は「本当に愛せたはず」の禁忌の世界へ手を伸ばしてしまう。

この物語の主張は「自分の元にいた世界でどうしろ」という主題ではない。
そのような主題であれば、絶対に出会うはずのない姉と弟を出したりしない。
生まれてくるはずだった末の妹を出したりもしない。

存在論的・郵便的」への自己回答を内包したこの小説は、
平行世界への干渉を逆説的に否定する形で終わる。

最終章『i』では、往人が友梨花を愛するために過去の清算を行おうとするが行えない、それでもそれまで見せてきた絶望的な溝のある往人と友梨花より距離がまた縮まっている描写になっている。
そして、娘の名前が「汐子」であることに注目したい。
章題が『i』であり、風子が生まれなかった世界だ。
風子も生まれていない、理樹も生まれていない世界。
それでもぎくしゃくしながら主人公は目の前の友梨花を求め、
娘の前で父たらんとする。
「帰れないかもしれない」と現実を告げると、『虚構』の存在たる娘は、
「汐ちゃんがつれて帰るんだから」と言う幕切れ。

作中の登場人物たちにとっての『現実』とはもはや認識されない世界での収束点は美しくもまた儚い。

きっと、この作品の救いは理樹が往人を「父さん」と呼ぶシーンだ。
理樹にとってあの往人は母をレイプしたあの父であり、
この平行世界への干渉を理樹が始めたきっかけとなった存在だ。
その男が赦されることが内包される。

しかし、やり直しの効かない世界を夢見ながら最期を迎えるのは強烈な皮肉とも言える。